ソウです。僕は補聴器を装用していないときは普通の生活音は何も聞こえないほどの重度の聴覚障害があります。
補聴器をつけても人の声が言葉として聞き取れないので、ふだんは口を読んだり筆談したりしています。
しかし、僕は口を読んでことばを理解する「読話」に対して苦手意識を覚えています。
なぜかというと「口形を正確に読んで言葉を理解する」という作業を行うことは、僕たち聴覚障害者にとってエベレストに登頂するような困難をきわめるからです。
それでは読話がどんなふうに難しいのか理由を書いていくので、気になる方はぜひ読んでってください!
読話ってどのくらい正確に読み取れるの?
まず僕の読話の精度についてお話しします。
ふだんどのくらい正確に話が読み取れているのかを文章に起こしてみました。

今日11時に○○からのお客様が来る予定なので、挨拶などよろしくお願いします。

今日・お客様が来る・挨拶という単語はわかったけど、誰が来るんだろう?

○○からヤマダさんが来るよ。11時に

……○○のヤマダさんって僕の担当のお客様じゃないですか!
…「全部わからないわけじゃないけど、全部わかってるわけじゃない」という感じですね。
会話の抜け漏れがあるので、話の大筋は理解できていても肝心なキーワードを読み漏らしていることが多々あります。
口を読むことが声を聞くよりも難易度が高い理由
では、どうして口を読んでことばを理解するのが難しいのかいくつか理由をあげていきます。
5分間口を読むと眼精疲労を引き起こすから
まず「口を読む」というのは、神経をすり減らす行為となります。
僕は読話が苦手なので、5~10分ほど相手の口元を凝視していると頭痛や吐き気を覚えます。
これは長時間パソコンやスマホを見たときと同じような眼精疲労の一種なんですよね。
口を読むというのはそれくらい目を酷使することなので、可能なら口を読まなくても生きていける世界になってくれたら生きやすいなと思います。
口形が読みやすい人・読みづらい人がいるから
僕が口を読むのが苦手な理由の2つめが、口形が読みやすい・読みにくい人がいるからです。
人によって声が大きい人・小さい人がいるように、口の動きがはっきりしてる人とはっきりしない人がいるので、どうしても口形が読みづらい人もいます。
僕の場合は口形が読みやすい人相手だと仕事の指示くらいなら全部口頭でも大丈夫なんですけど、読みづらい人相手だと同じ話をされていても1/3~半分くらいしか読めなかったりします。
人によってはまっったく口形が読めないこともあります。
話のスピードがゆっくりめで、「口を読む」みたいに一節ごとに区切って話す人は読みやすいですが、最初から最後まで話が途切れない人などは読みづらいです。
ちなみにさっきの会話例では「かなり口形が読みやすい上司」と実際に会話したときの体験談を基にしています。
仕事の指示くらいなら全部口頭でも大丈夫とはいえ、細かいヌケモレがあるので完璧とはいえません。
口が読みやすい・読みづらいというのはその人の努力の問題よりも、天性の才能に左右される部分が大きいと僕は思っています。
口形が読みづらいタイプの人が口を読みやすく話す努力をするのはかなり難しいことなんですよね。
だから「聴覚障害者と話すときは口の動きを読めるようにしましょう」と周知するのは、半分正解で半分不正解。
もし口を読んで会話をする場合は、事前に「仕事で関わる人の中に、口が読みづらい人っている?」と聴覚障害者本人に確認するのがベターかなと僕は思います。
口を読むことは、人間の身体的に絶対無理なこと
そもそも読話は「人間の能力的に不可能なこと」だと僕は考えています。
たとえば「視覚障害者が手すりのない吊り橋を1人でまっすぐ歩く」ことや「お酒が飲めない体質の人が無理やりビールを飲む」のと同じくらい不可能なことだし、やってはいけないことなんですよね。

聴覚障害は目に見えない障害だから想像しづらいかもしれませんが、もうほんとに上の例くらい不可能なことなんですよね。
それくらい不可能なことなのに、聴覚障害者においては「読話の訓練」をすることもあります。
どんなに訓練しても100%口形が読めるようになることはありえません。
たしかに僕たち聴覚障害者は、視覚障害者の方がホームドアのない駅のホームを歩くときのような命の危険を覚えることはありません。
飲み会で急性アルコール中毒で命を落とすようなこともありません。
しかし、その分「口形を読むのが難しい」ということがなかなか伝わらない場面も多いです。
「読話が苦にならない」と思う人はどんどん読話で話したらいいんですよね。
でも、僕みたいに読話に苦手意識を持っている人が読話で話す…というのは少しずつ減らして、最終的にゼロになってほしいと思っています。
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